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ドイツ統一コストと最近の欧州問題について

ドイツ統一コストと最近の欧州問題について

(経済セミナー 1993年2月号より要旨を抜粋)

斎藤弘   (当時の所属:日本銀行国際局)

欧州経済は、現在、2つの大きな問題に直面している。1つは、マーストリヒト条約(欧州同盟条約)批准を巡る92年9月のフランス国民投票を直後に控えて秋口以降に表面化した欧州通貨体制の動揺である。この過程で、欧州通貨制度(EMS)では、9月中、5年8か月ぶりの大幅な通貨再調整が実施されたほか、英国ポンド、イタリア・リラは事実上為替相場メカニズム(ERM)からの離脱を余儀なくされた。いま1つは、90年以降に目立ってきた欧州各国の景気停滞が長期化し、とくに失業問題が多くの国で深刻化している点である。もとより、これら2つの問題については、各々固有の要因が別個に影響していることはいうまでもないが、同時に2年前の東西ドイツ統一を契機として生じた諸問題がそれらに拍車をかけた面があることも見逃せない。したがって今後の欧州経済の動きを展望する場合にも、ドイツ統一問題に関する的確な分析が不可欠といえよう。

ドイツ統一にあたっては、(1)旧東ドイツにおける計画経済から市場経済への全面的な転換といった問題と並んで、(2)東西ドイツ間にある極めて大きな経済格差をいかにスムーズに解消していくかが最大の課題と目されていた。これらの課題に対しては、統一前は、旧西ドイツ経済のパフォーマンスの良さや折からの景気好調を背景に、総じて楽観的な見方が一般的であり、来たるべきEC統合についても、そのアンカーとしてのドイツ経済の役割拡大が促進要因として作用しようとの期待感もみられた。そうした中で、焦眉の問題となった東西ドイツの通貨統合の交換比率については、結局ドイツ統一の迅速な実現を最優先した政治的配慮が重視され、原則1対1という実勢から大きく乖離した比率が適用されることとなった。この結果、旧東ドイツの生産部門は急速かつ大幅な打撃を破り、ドイツ経済全体として供給力が大きく制約されることとなり、当初の予想を大幅に上回るインパクトを内外経済に及ぼすこととなった。

ドイツ統一に伴う内外経済への影響をみると、(1)旧東ドイツ地域の経済復興需要が旧西ドイツ地域へもたらした景気浮揚効果およびその欧州各国への波及(「統一特需」)と、(2)旧東ドイツ地域への公的資金移転の増大に伴う財政赤字の拡大・インフレ圧力の高まりとこれに対応したドイツ国内の金融引締めによるデフレ効果、さらにはEMSを通じた欧州各国への波及(「統一コスト)、といった2つの側面が認められる。実際に統一直後から91年秋ごろまでは、統一特需に伴う景気浮揚効果が先行的に現われ、ドイツ経済はやや過熱気味といえる程の景気拡大を示したほか、EC等近隣諸国においてもドイツ向け輸出の好伸等を通じて需要創出のプラス効果を及ぼした。しかしながら、こうした復興需要が一巡した91年末ごろ以降は、旧東ドイツ復興支援のための公的資金移転を主因に財政赤字が拡大する一方、高率賃上げや財政赤字ファイナンスのための増税措置等を契機にインフレ圧力が高まった。こうした状況に対応した金融引締めが、ドイツ・マルクの強調地合いの一因となったため、その影響はEMSの枠組みの下でEC各国に波及し、各国当局は、これに対応すべく、引締め方向での政策運営を選択せざるをえなかったものと考えられる(「欧州のジレンマ」)。

ドイツの統一は、内外における機運の盛上がりをとらえた政治的な決断によって初めて実現しえた面が大きいことはいうまでもない。ただ他方で経済実態面に着目すると、EC各国がここ数年EC統合を最優先し、為替の再調整を回避してきた結果、各国における景気停滞の長期化や雇用情勢の深刻化等にみられるように、ドイツ統一のマイナス・インパクトが対外的にも拡大することになり、さらにこれがEC統合の機運自体にも大きく水を差す概念すら台頭してきたところである。今回の欧州通貨体制の動揺は、これまでEMSの通貨再調整を回避してきた中で蓄積された各国間の経済パフォーマンスの相違が一挙に表面化したという側面が大きいが、これを「欧州のジレンマ」との関連でみると、従来の対応(ドイツと同方向での政策運営)が行詰まり、改めて通過再調整という政策対応を迫る動きであったとの理解が可能であろう。

以上のような視点に基づいて欧州経済の先行きを展望する場合、現在なお途上にあるドイツの経済実態面での統合の動きが今後いかに展開していくかがまず重要である。この点、まずは競争的市場メカニズムの前提となる国営企業の民営化および主として民間ベースの投資に依拠したインフラ整備(運輸、通信等)を含む資本ストック充実が大きな鍵とみられるが、現状からみる限り、これら両面で具体的な進展をみるまでには相当長期間を要する見通しである。また、ドイツ経済がかつてのような良好なパフォーマンスを回復し、EC統合のアンカーとしての役割を担うためには、現在の「双子の赤字」の構造問題化を回避することが重要と考えられる。そのためには物価安定の下での持続的な成長が重要であることはもちろん、とりわけ統一後も高水準で推移している旧西ドイツの家計貯蓄率の今後の動向、および旧東ドイツの生産・雇用の回復に伴う財政赤字の削減テンポがポイントであろう。6.また、当面の欧州の景気動向をみるうえでは、ブンデスバンクの金利政策運営に加え、今回の通過再調整等に伴い「欧州のジレンマ」をもたらしていたEMSの桎梏が一時的にせよ緩和された下で、各国政策当局がどのような政策スタンスをとっていくかということも大きな鍵となろう。7.さらにEC統合の関連でみると、今回のドイツ統一のケースは、基礎的な経済条件が大きく異なる複数国が経済格差の是正が不十分なままに統合する場合、そのインパクトを最小限に抑えるような現実的な通貨交換レートを適用することが重要である点はもとより、仮に適正な通貨交換レートを適用したとしても、いずれ大規模な所得移転が必要とされることを示唆している。単純な類推は避けなければならないが、このことは、将来のEC統合においても、経済格差の収れんをできるだけ図っていくことが円滑な統合を実現していくうえでの何よりも重要な前提条件となることを含意しているといえよう。